京都大作戦(後篇) ~石松園銘茶本舗が本物のお茶屋に近づくための旅~
2013年08月16日 23:00
石松園の高野です。
前回のコラムで描いた「京都修行の旅」の後篇です。
今回の旅は「お寺」をみるということ、「名店」をみるということをという2つのテーマを持ち、この地を訪れたのでした。
朝7時には京都駅周辺に到着したのですが、街からは何とも形容しがたいエネルギーが溢れていると感じました。
あらかじめ行きたいお店を数件ピックアップしていたので、そこを中心にしながらその近辺で目に付いたお店を覗くと言った感じでめぐりました。
1日回ってみて一番感じたことは、「お茶屋」「和菓子屋」「手ぬぐい屋」「つけもの屋」など取り扱っているものが違っても、それぞれにそれぞれのお店の歴史や自信が店先に漂っているということです。
それは高級感が演出されているということではありません。
言葉にするなら「風格」があるといった感じです。例えば「お茶屋」という共通のお店を見ても、どの店にも「茶」に対する独自の解釈と提案がなされていると感じました。この時期は暑いので、どこのお店でも「冷たいお茶」を飲ませてくれました。その一見同じ「冷たいお茶」にも、それぞれのお店の演出が在りました。「グリーンティー」という抹茶とグラニュー糖を混ぜたお茶にクラッシュアイスを混ぜて出してくれたお店や、「玉露」を水出しで甘く出してくれるお店など様々です。
そして店内も、歴史を感じさせる使い込んだ「茶箱」が並ぶ店や茶壷が並ぶ店、中には店の入り口の横を見ると奥に仏壇が見える店などもあり様々でした。
そしてそうした店構えは一流のデザイナーに依頼したからできるという種類のものではなく、長年そこで毎日「茶」に一所懸命に取り組んでいる内に、自然にできた姿なのだと感じました。
そしてそこに来店されるお客様を見ていると、「その店のお茶」と「その店の空気」「その店の文化」に触れに来られているのだとも感じました。
静岡県も京都府も「茶」の生産地であり、消費地です。そしてそのスタイルにはそれぞれに違いが在ると感じました。
取り扱うお茶も異なります。どちらがいいということではなく、どちらにも特徴がありました。
私には、そしてこの石松園銘茶本舗には、たくさんのやりたいことがあると改めて実感しました。
そして最後に「清水寺」から京都の街を一望しました。高校3年生の修学旅行以来でしたが、何か自分の中に熱いものが込み上げてきました。「清水の舞台」で私は改めて決意いたしました。
「茶」を通して、お客様に「喜び」「癒し」「楽しさ」を与える。
また、「伝統的」かつ「創造力の在る」お茶屋として、お茶だけにとどまらない「文化」を追求する。
これからの石松園銘茶本舗に期待してください。