お茶コラム

石松園の玉露の先生のこだわり

2013年08月05日 10:48

石松園の高野です。

石松園は現在、店のリニューアルに向けて勉強漬けの毎日です。今日は久しぶりに尾村さんのお宅にお邪魔してきました。

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尾村 甫(おむら はじめ)
日本手揉み茶保存会「茶匠」として、「無形文化財」と認定され、国内・海外問わず様々な方から「玉露=尾村」と絶大な支持を誇る人物です。ただその人柄から、表に出ることを望まず、石松園の初代との親交を元に私に「茶」の世界を教えて下さる先生です。たくさんの賞を受賞されたり、国内外でお茶の指導しながらも、「自分はただの百姓だよ。それ以外は道楽。」と仰る人物です。

尾村さんと話をしていると「本物のお茶の世界」を実感します。今日も「在来種」の茶樹の群れを見つけたから、来年取り組もうというお話が出ました。「在来種」とは、品種化された茶樹以外の茶樹一般をさして言う呼び名で、昔からその地に在る茶樹を指してそう呼びます。在来種の由来は不明で、渡来種・自生種の何十世代にもわたる実生の末と考えられています。昭和29年には国の全茶園面積において90%近く在った「在来種」による茶園は、現在では全茶園面積の中で1割にも満たなく、この「在来種」を求める声も増えているという状況です。

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また尾村さんはここ数年取り組まれていた「静岡県藤枝市の歴史の本」のことも教えて下さいました。そしてそこにはこの岡部町朝比奈という部落でつくられる「玉露」というお茶についての記述も在りました。とても興味深かったので書き移させて頂きました。その要約を以下に記します。

「玉露」とは香りが高く、甘みのある「高級煎茶」のことを指します。
岡部朝比奈の谷で、明治時代の中頃、霜の被害から茶の新芽を守るために直に「わらの束」を広げてかけたことがその始まりでした。その様子からこの「茶」は当時「わらかけ」と呼ばれたそうです。それが時を経て、わらを編んでつくった「こも」をかけるようになり、この「茶」は「こもかけ」と呼ばれるようになったそうです。明治時代末期には、モウソウ竹で茶園に棚をつくり、現在の「玉露茶園」の原型ができあがったそうです。

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この「朝比奈」という地で「お茶の王様」とも言える「玉露」の生産された背景には、「盆地状の低地に冷気がたまりやすいというこの土地の風土」と「防寒・防霜対策への工夫」が在ったのです。そしてその最後の一節に初めて聞いた「玉露」という「茶」の真髄がありました。「製茶には手摘みした生葉(摘んだ茶の葉・芽)を蒸すまでの間、<しいなくれる><しなくれる>という間合いが大事である。これは生葉の水分の抜け具合を的確に判断する技術で、これがこの地に伝えられる技術である。」というものです。この<しいなくれる><しなくれる>という言葉は、茶業界では「萎凋(いちょう)」という単語で表現されます。萎凋とは、茶の生葉を「しおれさせること」で、これにより茶葉成分の水分を減少させたり、茶葉から香りを引き出すというとても大切な工程です。私がこれまで眼にした「茶に関する本」ではその全てが「萎凋」という言葉で記されていました。
この<しいなくれる><しなくれる>という表現にこそ、茶をつくる名人の心意気が現れていると感じました。
ありがとうございました。

そしてそんな本物を表現する店をつくるべく、頑張りたいと改めて思いました。

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