宇治の抹茶にも勝る静岡県産抹茶!
2014年02月27日 10:20
石松園の高野です。
石松園では「静岡県産」の「抹茶」をお取り扱いさせて頂いております。
生産者の方とも常に話し合い、品質面において、自信を持って製造・販売させて頂いております。
昨年の秋に、ある商社の方から「アイスクリームの原料に使ってみたいのでサンプルを購入したい。」と依頼を受けました。その商社の方曰く、最終的に使って下さるお店が「宇治」「西尾」の抹茶と比較・検討してみたいということでした。
その方から先日ご連絡を頂き、「静岡が選ばれたよ。」ということでした。私は産地による風味の特徴はあるものの、最終的にはそれをどのように栽培し、生産したかということに因ると考えているので、産地に因ることよりも、「遮光栽培」して「石臼で挽いた」というこだわりの製法が理解されたことに嬉しさを感じました。
ただ、漠然と「静岡県産 抹茶」というブランドはなぜあまり聞かないのだろうかという疑問はありました。
静岡県は県内全域で茶の生産を行っており、その生産量は国内第一位で、日本茶全体の半分近くを生産しています。
温暖な気象と長い日照時間という恵まれた栽培環境のもと、先人からの知恵により県内のあらゆるところに茶畑が存在します。その立地は驚くような急斜面であり、山の山頂の誰も住むことが出来ないような場所に茶畑だけが存在する風景に、最初私はとても驚きました。ただ、いろいろ話を聞いたり、教わっていく中で、そこに茶畑が在るのには意味が在ると言うことを教わりました。
例えば標高の高い山に茶畑があるのは、茶にとって「寒暖の差」いいといわれています。それはなぜでしょうか?
茶葉も人間と似ています。昼の間、光合成という仕事をしてしっかり養分をたくわえます。夜は光合成(しごと)は行わず、昼間に合成した糖類を消費するだけです。よって、夜は気温が下がって、植物の活動が抑えられる方が、その分糖分は消費されずに植物内に蓄えられることとなります。それが、茶葉の「旨み」「甘み」となるため、昼夜の寒暖差が大きい分、茶葉の「旨み」と「甘み」が増すのです。
また、川霧の立ち込める場所に育つ茶葉いいと言われますが、なぜ「川霧」がいいのでしょうか?
ひとつにはお茶の最大の敵「霜被害」を防ぐという効果があります。先ほど述べた「寒暖の差」は必要ですが、気温が低くなり過ぎると「新芽」が凍ってしまうという被害を受けてしまいます。「川霧」はそれを防ぐ効果が在るのです。それは「川霧」には熱をもたらす効果があるからです。一般に川辺は、水の蓄熱性により暖かく、また風が局所的には強いため凍結しにくく霜が降りにくいという利点があります。風が吹く日は冷え込んでも余程のことがない限り霜も降りません。もうひとつには、「日照遮断効果」があります。「川霧」によって直射日光がさえぎられることで、茶の樹は光合成が出来にくくなります。そこで、茶の樹はより光合成が出来るように自分の葉の中に葉緑素を増やそうとします。このふやされた葉緑素が綺麗な緑色をつくりだしたり、旨み成分を生成したりします。
また、直射日光の紫外線を浴びることで増える「カテキン」という成分の生成も抑えられ、逆に「テアニン」という甘み成分がしっかりと生成され、まろやかな味になるとも言えます。(これは以前のコラム「玉露」の栽培方法における「こも」の役割を「川霧」がしてくれているということです。)負荷を受けることで、苦難を乗り越えることによって、茶葉も自分が持つ本来の香りと味が出てくるのかもしれません。
また茶畑は「山の北側の斜面にあるといい」と言われますが、なぜいいのでしょうか?
ひとつには朝日が昇った時の直射日光の当たるかげんです。特に新茶の芽が出る4月は、朝晩はまだ冷え込んで日中はかなり気温が上がります。この冷え込みで、寒さで縮こまった新芽の細胞がこの朝日で解凍されるわけですが、南側だと朝日がガンガンにあたる中で一気に解凍されることとなります。それに比べて北側の斜面ではゆっくりじんわりと解凍されていきます。このことが茶の生育に好条件なのです。
もうひとつには日照時間の違いで茶葉の色にも影響があり、北側の方が色目がいいということもあります。
というように、これだけ「茶の栽培・製造」に対してこだわりを持つ産地「静岡」が、なぜ「抹茶」に関してはブランド力が弱いのか?
農家の方とお話しした際にこんなお話を聞きました。
古くは江戸時代の初め、駿府城に徳川家康が居た頃、静岡県でも抹茶の原料である碾茶(てんちゃ)が製造されていたそうで、その茶は「御用茶(ごようちゃ)」としておさめられていたそうです。しかし、家康の死後、駿府の政治的役割が衰えると、それに呼応してこの静岡県における抹茶の生産は一時途絶えてしまったのだそうです。それ以降、静岡県の茶業は「煎茶」を中心に考えてきたというお話でした。そんな中、日本有数の「玉露」の生産地である「岡部町」を起点に、抹茶づくりのための「茶園づくり」そして静岡県の碾茶(抹茶の原料)づくりのための「茶工場づくり・炉の建設」が行われ始めたそうです。そして現在に至るということでした。
私は現在そうした流れも踏まえて、私なりの「静岡 抹茶」に取り組んでいきたいと強く想う日々です。